てらまんの投資録

アラサーリーマンによる投資中心の雑記

考えることをやめない

世の中には、固定観念、 思い込みに囚われている人がいると日常で時折思います。(この考えも思い込みの1種ではあります)

 

思い込みに囚われるということは、考えることを放棄すること、と認識しています。

 

思い込みに囚われた人とは?

〜であるべき、〜しなければならない という思考の頻度が高い価値観を持ち、その自分の価値観を万人に当てはめられると思い込んでいる人。

自分の経験、歩んだ道を肯定する為、それらが正しかったと思い込みたいが為に、人にそれを強要する。

 

これらの人は大抵の場合、自分の気に食わなかった人に対して

 

こんな社会の常識も知らないのか?

こんな当たり前のことも分からないのか?

 

と、自分の常識が絶対であることを盾に感情的に責め立ててくることが往々にしてあります。

 

それはそれで1つの価値観なので仕方ありませんが

単に自分が気に食わなかっただけの話なのに、

 

『社会的に』お前は間違っている

 

という、主語を 自分→社会 に大きく拡大した言い方をして相手を断罪しなければ気が済まない人が一定数存在します。

 

これは思考が凝り固まっている人の典型とも言えそうです。

 

私見ですが

〜であるべき、という思考は、その時の不遇で納得しきれない理不尽な自分の状況を肯定する為に生まれる思考だと私は思います。

 

よくある例で言えば

・人間は働くべきである

 

この思想に囚われている人は、老若男女問わず一定数存在すると思われます。

そもそも日本には『勤労の義務』なるものが存在しますので、社会全体で見れば働くべきと考える人が多数派なのが自然に思えます。

 

ちなみに私は普通の会社員ですが、人間は働くべきであるとは全く思いません。

 

雇われで働くことは生きる為の1つの手段です。

働かずとも余裕で生活できるほど財力があれば、働く必要はないからです。

親がアラブの石油王で、無条件で毎月300万円くれるなら、少なくとも雇われの労働者になる人はほぼいないでしょう。

もしやりがいを求めるなら、自分の好きな事業を好きなようにやるのが自然で、誰かの下で働くことでやりがいを感じるのは妙です。

 

人は働くべきである、という思想に囚われている労働者は

働かないといけないという不条理な環境で生活を続けざるを得なく、その不条理さを強引に納得するために、人間は働くべきなんだ、と根拠無く思い込むだけに思います。

 

誰しも、自分のしてきたこと、することが間違いとか、嘘だったとか、必要なかったとか、そんなことは思いたくないでしょう。

何十年もバリバリ働き、それを誇りにしていたならば、それが別に必要の無いことだったと思いたくないでしょう。

 

もし、自分の人生をかけて成し遂げてきた物が実は誰にとっても(自分でさえも)必要無かったものだと認めてしまったら、もはや自分を全否定することになってしまうからです。

 

 

ここで別の視点でこの話を見ていきます。

 

なんでもそうですが、より深く思考する人ほど、成功する確率、勝つ確率は上がると思います。

受験、就活、仕事、スポーツ

なんでも当てはめられます。

ポーカーなどのゲームも例外ではありません。

 

そして

〜であるべき、という思考を頻繁にする人ほど

思考力が低い可能性が高い、と私は思います。

 

思考力が高い人とは?

『人は働くべき』という一般論は何故存在するのか?

といったように、例えば世間で常識とされる事柄を常識の一言で片付けず、一度自分の頭で考える人を指します。

 

〜であるべき思考 では、そこで思考が止まってしまいます。

 

投資でいえば、そういう風に立ち止まって考えれば考える頻度が高い人ほど、資産が増える可能性が高まると私は信じています。

 

なんでも自分の無い頭でとことん考えてみる。

 

これを守って生きていきたいものです。

という微妙なオチで終わります。